東京高等裁判所 昭和32年(う)1529号 判決
被告人 和気愛子
〔抄 録〕
本件控訴の趣意は、弁護人中島長作及び同佐藤吉熊各提出の控訴趣意書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、これを、ここに引用して次のとおり考察をする。
麻薬取締法が第二十七条第三項を設けて、麻薬施用者においてすら麻薬の中毒症状緩和のため、その他その中毒の治療の目的で麻薬を施用することを禁じているのは、麻薬の中毒者が、いわゆる禁断療法の如き根本的な中毒症状治療の方法を講ずることなく、ただ単に麻薬の施用を断つことから生ずるいわゆる禁断症状としての肉体的精神的苦痛緩和のため麻薬を施用するときは、徒にただ、その中毒症状を深めるばかりでこれを連続施用するときは、遂には、その者の生命にすら危険を及ぼすに至るものであること等に考慮を置いたことによるものであつて、ただ麻薬中毒症状緩和のために麻薬を施用したことの明らかな本件においては、たとえ、それが麻薬施用者自ら自己の中毒症状を緩和するためのものであつたとしても、他に前示の如き麻薬中毒の適切な根本的治療方法のあることにも照らし、これが所為につき、これを医師本来の医療行為に属する所為であるとか、或いは苦痛排除のために止むを得ざるに出でた所為であるとして、刑法にいわゆる「正当の業務」の観念や「緊急避難」の観念をもつて律するの余地はない。而して所論において、本件麻薬の施用をもつて刑法上放任行為に属する自殺的行為であると主張してその犯罪の成立を否定しているが、本件所為は専ら中毒による肉体的、精神的苦痛のない生存を希求するの余り、他に適切な中毒の根本的治療の方法があるにかかわらず、一時の右苦痛緩和を目的として、却てその生存を脅やかすに至る虞のある麻薬を敢て施用したものであつて、決して単に自ら自己の生命を断つための所論にいわゆる自殺的行為ではない。本件麻薬施用の所為を自殺的行為に属する違法性なき所為であるという趣旨の主張も採用するに由がない。
而してまた、被告人が本件麻薬施用当時麻薬の中毒症状のため是非善悪を弁識して、これが弁識に従つて行為できる能力を欠いていたとか、或いは、著しく減弱したものがあつたということも記録上認められないから、その当時被告人が、心神喪失ないしは心神耗弱の状況に在つたとして本件犯罪の成立を否定し或いは刑の減軽を求める所論も採用できない。
ただ然し、記録によれば、本件犯罪の動機、態様において、犯情として被告人の利益に掬すべきものがあり犯罪の性質としては決して軽視できないものがあるけれども、被告人在来の素行、経歴、改悛の状況等をも考慮するときは、この際一応刑の執行を猶予して、被告人に更生の機会を与うるを相当と思料するから、原審の量刑の不当を主張する各論旨を理由ありと認め刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十一条に則り、原判決を破棄し、同法第四百条但書の規定に従い被告事件について更に判決をするのに、原審の確定した事実に左記法令を適用して主文のとおり判決をする。
(三宅 河原 遠藤)